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義母の葬儀の翌日、私は数か月ぶりに自分の実家へ行きました。

両親の冬のコートを取りに行くためです。

両親は実家に近い姉に頼んでいましたが、

姉は “どこにあるか分からない” の一点張り。

ベルサイユ宮殿じゃあるまいし、狭い家なんだから大体わかるでしょ?

埒が明かないから、私が取りに行ったわけです。

ちゃんと洋服ダンスにありましたよ。(溜息)


また、4月に解約したはずの固定電話の領収書が いまだに届いていました。

すぐに電話会社に連絡したら、本人の了解を得ていない、という理由で

そのままになっていたようです。

それにしても、なぜ姉は半年も放置していたのか?

姉に電話したら、“あ、それ気になってたの” だってさ。

施設のことは私が担当するから、家のことは姉に任せているのに。

呑気と言うか、テキトーと言うか・・・。

必然的に両親は私を頼りにするようになり、私のストレスは増える一方。


姉のようにフワフワ生きていれば、どんなに楽だろう。

生真面目な人間ばかりが損をするんですょ。。

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空き家になって半年の実家はもう、廃屋のようになっていました。

父が愛用していた机も、物悲しく見えました。


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昨年、大正生まれの義父が亡くなったときは悲しかった。

モラハラだったけれど、人情に厚い人で

私を見る目は、温かかったように思います。

夫に子供が出来ないと分かったときは、“すまんかったな” と頭を下げてくれた。

あの頑固な人が、プライドを捨てて謝るなんて…驚きでした。


でも、義母がいなくなった今、何の感情もない自分がいます。

ホスピスから自宅に冷たくなって戻ってきた時も、私は平常心でした。


妹弟は子供がいることもあって、一緒に食事に行ったり旅行をしていたようです。

でも私たちは、ほどんど接触がありませんでした。

義母とのいい思い出といっても、何も浮かんできません。

嫌な思い出ベスト10ならすらすら出てきますけど、

ここで発表するほど、私は非情ではありません。(^o^)


正直、これでやっと終わったっていう気持ち。

信心深い一族だから、しばらくは法要が続くけれど

それが終われば、妹弟とも関わりが減る。


そう思うと、ホッとする。


このブログの事は、主人はもちろん友人も知りません。

なので私は、正直な気持ちを書き記しています。

文句、陰口ばかりで自分でも嫌になる。(^^;

でも、ここでしか本当の自分をさらけ出せないのも事実。

ありがたい存在なのです。

みなさま・・・

罰当たりな私の胸の内を、黙って聞いてくださってありがとうございます。(^o^)/

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義母の葬儀の日、多くの親戚から昔の話を聞きました。

結核で入院していた父が看護師の母を見初めたこと、

母は利発で学校の成績がよかったこと、

なのに、大家族を養うために大学に行けなかったこと。

私の知らない話ばかりでした。


みんなが口をそろえて話すのは、“叔母さんは人のために尽くした人”

親を亡くした姪を預かったり、田舎から出てきた甥の面倒を見たり…。

働いたお金を自分には一銭も使わず、困った親戚を援助していたようです。

昔 自分を裏切った実の妹にさえ、入院代・葬儀代を出していたと聞きました。

それが、母親の生きがいだったのだろう。

家族(血のつながった)を大切にする人でした。

私にはとても真似できません。


私たちは子供がいないから裕福だと思われるのか、

義妹も、従妹でさえ子供たちの学費を出してくれ!と言います。(冗談だと思いたい)

私には、義母のような寛大な心はこれっぽちも無い。

子供がいないからこそ、老後にはお金がかかるのよ。

他人を援助している余裕はないです。

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秋雨前線の影響で、通夜も葬儀も冷たい雨でした。

今回は家族葬だったので、集まったのは親戚と身内だけです。


母親の実の妹は体調を崩しているので、参列は無理かと思っていましたが

どうしてもお別れをしたい、と遠方から来てくれました。

棺にしがみついて号泣する姿は、周囲の涙を誘いました。


父親の仏壇は今、同居していた長女の家にあります。

でも、母親が亡くなったのを機に、

両親の仏壇は “跡継ぎ” がいる次男のところへ移すことになりました。

なので主人と私は義母のお骨を少し分けてもらおうと、

小さな陶器の入れ物を用意していました。

でも当日 、正式な手続きが必要とか、成仏できないとか…

周りの人に聞かされて、結局断念しました。

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小柄な義母のお骨は小さくて、これだけ?と思うくらい。

10年ほど前、義母は車に接触して転倒し、足首を骨折しているんです。

その時に入れたボルトが、焼け残っていました。


喜んだり、悲しんだり、悩み苦しみ抜いても…

結局人間は、いずれ土に還る。

そんな無常を感じました。


昨年四月に94歳で亡くなった主人の父は 生前からド派手な葬儀を望んでいたので、

長女と次男は、自分の職場の同僚も含めて盛大に送りたいという思いでした。

一方、長男である主人は “最近の企業は香典も参列も辞退が主流” という考え。

会ったこともない人の葬儀に出る意味ある?という合理的な意見に私も賛同します。

わざわざ遠い所から、ましてや数合わせのためにですよ?

結局、妹弟の同僚だけ参列という事になりました。


それでも葬儀の後、義妹は怒り出しました。

「お兄ちゃんが会社の人の参列辞退したから、

あんなに寂しいお葬式になってしまったやないの!

席がたくさん空いてて、恥ずかしかったわ!」


それでも300人近い人が集まったのですよ?

もう義父の時で懲りているから、今回は身内だけの葬儀にしました。

妹弟も納得してくれました。


準備のいい私の両親は、自分たちの葬儀の形式をもう決めています。

無宗教の家族葬。

姉夫婦と私たち夫婦だけの小さなお葬式です。

これならお坊さん来ないし、楽勝かも。(^o^)v


誰もが、終活をしておくべきだと思います。

特にお子さんがいる方々は。。

“故人の遺志ですから…”で、すべて収まります。

子供同士がもめないためにも。

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モルヒネの点滴をした翌朝、付き添っていた次男から連絡がありました。

「もう意識がない、家に帰るための服を用意するように言われた」

「点滴を止めたので時間の問題」

すぐに主人に知らせました。

主人は会社を早退して、病院へ。


苦しんで苦しんでずっとわめき声をあげていた義母。

人間って、もっと穏かな最期を迎えられるものだと思っていた。

意識をなくすのは、安楽な死を受け入れるための自然の摂理なのかもしれません。


私は午後から自分の親の施設へ、用事を済ませに行きました。

途中で、カラスの大群に遭遇。

何か嫌な予感がしたんです。


主人が母親の足をさすっていると、看護師が言ったそうです。

「唇が白くなってきたでしょ?あと10分くらいだと思いますよ」


両親の施設から家に戻ったとたん、主人から連絡がありました。

「今亡くなった。これから検死してもらう」

涙声でした。


父親の時、主人は最期を看取れなかったけれど、

今回は立ちあえて良かったと思う。


私が三日前、最後に面会に行ったとき、本当に具合が悪かった。

「今日は特にしんどいわ、なんでやろ・・・」

それでも 帰るときにはいつものように、「また来てね」と。

それが母との最後の会話でした。

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夕方、次男のお嫁さんからメールがありました。

「お義母さんの容態が悪く、今 モルヒネの点滴をしている」

「いつ意識がなくなるか分からないから、家族がついているように言われた」


どうしよう、私は明日駆けつけられないのよ。

両親の施設へ行く予定にしていたから。

父のお酒とか頼まれた冬服とか、持っていくものは山ほどあるの。

訪問診療の再契約もあるし。

それに、そろそろ父の散髪をしないと!

父は髪が耳にかかると発狂するんです。


義母には、3人の実子と嫁、5人の孫がいる。

でも私の両親には、私と姉の二人しかいません。

悪いけど、自分の親を優先させてもらおう。


夜遅く、病院にいる義妹から電話がありました。

電話口から、「あーー!あーー!」という義母の苦しむ叫び声が聞こえてきました。


近々、八ヶ岳方面へ旅行する予定でした。

義母が入院する前から予約して、

旅行好きの主人はとても楽しみにしていましたが、

それも今日、キャンセルしました。

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長女は平日の都合が悪いので、私が行ったときに急きょ

主治医のM先生と面談することになりました。


良くも悪くもなっていない状態で、まだ体力はある、

今後は誤嚥が命取りになる、との事。

まったく飲み込めなくなったら点滴はどうしますか?と、聞かれました。

終末期の高齢者は、点滴をすると逆に体の負担になることもあるらしい。

先生は、医学的に判断して点滴を中止することもある、と言われました。

私もそれでいいと思います。

先生にお任せします、とだけ言っておきました。


3人の実子たち、その配偶者、孫たち…。

家族が入れ替わり立ち代わり面会に訪れているので

先生も看護師も感心していました。

「いいご家族ですね」

いえいえ、色々あるんですよお~~~、と返しましたら

お二人とも苦笑されていました。


義母曰く、「子供たちはお小遣い目当てで来てる」

息子も嫁たちも、アリバイ作りのために仕方なく行ってるだけなのよ。

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両親の部屋に入るや否や、

母が興奮冷めやらぬ様子で話し始めました。

「昨日のデイサービスでイオンモールに連れて行ってくれた!」

「すっごく大きくて綺麗で、吹き抜けになってた!」

「ペットショップで可愛いワンちゃんたくさん見たよ!」


施設に入居してから初めての外出。

久しぶりのシャバはとても刺激的で、楽しかったようです。

父が母の車いすを押して、結構歩いたらしい。

それで自信がついたのか、父は勝手なことを言い出しました。

以下、要約。


“駅に周辺の無料のグルメマップを置いてないか?今度もらってきて欲しい。

ここの食事に飽きてきた、一人で外食したい、お母さんの分も買ってくる、

そのためには、もっと丈夫な四つ足の杖が欲しい”…等々。


私の恐れていたことが起こりました。

食べ物に異様にうるさい父が、いつ施設の食事を投げ出すか…

ずっと心配していたのです。(☆☆☆

それに、「週に一度の買い物代行を断る、これからは自分で買いに行く」と言う。


知らない土地で、よろよろの老人がどうやって食べ歩きなんかできるのよ?

重いお酒のボトルをどうやって持って帰るのよ?

雨の日も、冬の寒い日も、どうするつもり?


好き勝手なことをされたら、施設のスタッフも困ります。

私は父の勝手な要望を、無視しておきました…w

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義母がホスピスに転院して2週間。

部屋に入ったらちょうど、ナースコールを押したところでした。

枕は乱れ、掛け布団はずり落ちそうで、

「あー苦しい苦しい!」と看護師に訴えていました。

でも酸素量は足りている。。

見ていて辛いけど、どうしようもない。

私が出来るのは背中をさするくらい。


「誰か助けてー!あーあー!」

その叫び声たるや、鼓膜をつんざくような大声なのです。

あれだけ死にたいと言っていたのに、

人間、土壇場になるとやっぱり怖いんだ。


看護師さんが、ここ数日の様子を報告してくれました。

「食事が少ないと言われますが、残されるんです」…汗

「お孫さんが来られるときが一番うれしそう、お小遣いを上げてますよ」

あ~、そうですか。

お嫁さんが来られるときはいつも調子悪いですね、と

看護師さんは言いたげでした。(笑)


いつだったか孫が訪ねてきたとたん、元気になって、

私は安心して帰ったこともあります。

なんかもう、やってられないわ。

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義母は寝返りをうてないので、ナースコールが押せません。

このところ、夜中にも大声で「あー!」と叫ぶそうです。(ヒンシュク)

手首にボタンが括りつけられていました。