私の両親は無宗教で
葬儀も法要も不要という考えです。
一般的には “ちょっと変わった人”
なのかもしれません。
私は親以上に不信心ですが、
今のところ祟られたり、
天罰が下ったことはない。
(自分で気づいてないだけか?
)
なんとなく信じているのは
“お天道様が見ている” ってやつです。^^
これなら害はないし、献金いりませんからね。

父は「仏壇も不要」と言っていたけれど
私の意思でミニ仏壇を買いました。
毎日、父とモカに話しかけています。^^
今月は仏教でいう所の初盆。
特別な法要はせず、
お花と父が好きだったものをお供えします

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葬儀も法要も不要という考えです。
一般的には “ちょっと変わった人”
なのかもしれません。
私は親以上に不信心ですが、
今のところ祟られたり、
天罰が下ったことはない。
(自分で気づいてないだけか?

なんとなく信じているのは
“お天道様が見ている” ってやつです。^^
これなら害はないし、献金いりませんからね。

父は「仏壇も不要」と言っていたけれど
私の意思でミニ仏壇を買いました。
毎日、父とモカに話しかけています。^^
今月は仏教でいう所の初盆。
特別な法要はせず、
お花と父が好きだったものをお供えします

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昨夜、父が夢に出てきました。
一緒に出掛けて、
「すぐ戻るからここで待ってて」
と言ったのに、父の姿がない。
探しても、人込みの中で見つけられない!
どうしよう~(>_<)とパニックになった所で
ハッと目が覚めました。
“はぁ、夢で良かった…”

亡くなってもう、7か月になるのに
まだ囚われてる?
父が夢に出てくる時って、いつもこんな感じ。
未だにGmailの着信音が鳴っても
父からと思い、ドキッとする。
この状況、心理カウンセラーなら
どう分析すんでしょうね。
そんなこんなで
後味の悪い夢でした。。

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一緒に出掛けて、
「すぐ戻るからここで待ってて」
と言ったのに、父の姿がない。
探しても、人込みの中で見つけられない!
どうしよう~(>_<)とパニックになった所で
ハッと目が覚めました。
“はぁ、夢で良かった…”

亡くなってもう、7か月になるのに
まだ囚われてる?
父が夢に出てくる時って、いつもこんな感じ。
未だにGmailの着信音が鳴っても
父からと思い、ドキッとする。
この状況、心理カウンセラーなら
どう分析すんでしょうね。
そんなこんなで
後味の悪い夢でした。。
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父は亡くなる4日前まで日記をつけていました。
最後の欄は、
「いぜんとして(体調)良くない、がまんあるのみ」
とありました。
無口な人ゆえ、言葉には出さないけれど
相当つらかったのでしょう。
苦しみから解放されて、良かったと思う。

私は霊感とか、
スピリチュアルに縁のない人間なのに
父が亡くなった夜、不思議な体験をしました。
就寝中、胸が苦しくて苦しくて
のたうち回っているんです。
ふと我に帰ったら、午前1時半でした。
掛け布団は乱れ、枕が吹っ飛んでいた…。
こんなことは初めてだったので、
自分でも驚きました。
あれが本当の別れだったのかなぁ。
行かないで!と叫んでいたのかなぁ。

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最後の欄は、
「いぜんとして(体調)良くない、がまんあるのみ」
とありました。
無口な人ゆえ、言葉には出さないけれど
相当つらかったのでしょう。
苦しみから解放されて、良かったと思う。

私は霊感とか、
スピリチュアルに縁のない人間なのに
父が亡くなった夜、不思議な体験をしました。
就寝中、胸が苦しくて苦しくて
のたうち回っているんです。
ふと我に帰ったら、午前1時半でした。
掛け布団は乱れ、枕が吹っ飛んでいた…。
こんなことは初めてだったので、
自分でも驚きました。
あれが本当の別れだったのかなぁ。
行かないで!と叫んでいたのかなぁ。
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父は生前から、葬儀のしきたりや
伝統にはこだわっていませんでした。
息を引き取る直前にも
「葬式いらん、最低でいい」と言ったくらいですから。(^^;
葬儀社は決めていたので
亡くなった夕方、寝台車が来て
葬儀社の一番小さな部屋に安置。
お通夜はありません。
棺の周りにたくさんのお花を飾ってもらいました。
翌日、僧侶の読経が30分ほどあり
それから出棺です。
母、姉夫婦と私たち夫婦の5人だけで送りました。
親戚には喪中はがきで知らせる事にしています。
御遺骨は、しばらく母の側に置いておきます。
2人そろえば、鎌倉霊園に納骨する。

戒名・位牌無し、仏壇も無し。
お香典返しも法事も不要。
これらはすべて、父の遺志です。
これが宗教的に?どうなのか、分かりません。
でも、大切なのは本人と残された家族の気持ち。
私はこれで良かった...と思っています。

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伝統にはこだわっていませんでした。
息を引き取る直前にも
「葬式いらん、最低でいい」と言ったくらいですから。(^^;
葬儀社は決めていたので
亡くなった夕方、寝台車が来て
葬儀社の一番小さな部屋に安置。
お通夜はありません。
棺の周りにたくさんのお花を飾ってもらいました。
翌日、僧侶の読経が30分ほどあり
それから出棺です。
母、姉夫婦と私たち夫婦の5人だけで送りました。
親戚には喪中はがきで知らせる事にしています。
御遺骨は、しばらく母の側に置いておきます。
2人そろえば、鎌倉霊園に納骨する。

戒名・位牌無し、仏壇も無し。
お香典返しも法事も不要。
これらはすべて、父の遺志です。
これが宗教的に?どうなのか、分かりません。
でも、大切なのは本人と残された家族の気持ち。
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このブログの存在は主人ですら知りません。
だからこそ、今まで本心を書いてきました。
今回の内容も、気を悪くされる方がいたら
お許しください。
本来父は、とても穏やかで優しい人です。
私の事も理解してくれました。
ただ、父のお世話をする過程で
私は度々追い詰められてしまいました。
早く解放されたい!
いなくなったらどんなに楽かと
どれだけ思ったことか。
でも、父の最期に立ち会ったとき
嫌な思いは一切、消えていました。
むしろ、一時的にでもそう思っていた
自分を責めました。
ただただ、お父さんありがとう。
大好きだよ!という気持ちになりました。

父がいなくなったなんて信じられない。
最期の時間をもっと、一緒に過ごしたかったです。

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だからこそ、今まで本心を書いてきました。
今回の内容も、気を悪くされる方がいたら
お許しください。
本来父は、とても穏やかで優しい人です。
私の事も理解してくれました。
ただ、父のお世話をする過程で
私は度々追い詰められてしまいました。
早く解放されたい!
いなくなったらどんなに楽かと
どれだけ思ったことか。
でも、父の最期に立ち会ったとき
嫌な思いは一切、消えていました。
むしろ、一時的にでもそう思っていた
自分を責めました。
ただただ、お父さんありがとう。
大好きだよ!という気持ちになりました。

父がいなくなったなんて信じられない。
最期の時間をもっと、一緒に過ごしたかったです。
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10月15日(金)
午後一時から、看護師・スタッフ・ケアマネを交え
父の看取りについての話し合い。
意識がはっきりしているので
父の望み通りにして欲しいとお願いしました。
部屋に戻ると、父は寝ていました。
私に気づき、絞り出すような声で
「ありがとう、元気でね、○○(夫)君に宜しく」
姉には「お母さんをたのむ」
そしてビールを欲しがったので
5ccほど口に含ませました。
それから一時間ほどして、急変しました。
娘に会いたい、と言ってくれたから
立ち会えた。
看護師、スタッフたち、ケアマネさん、
多くの人たちに見守られながら
14時40分に、大好きな父が旅立ちました。
92年の生涯でした。

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午後一時から、看護師・スタッフ・ケアマネを交え
父の看取りについての話し合い。
意識がはっきりしているので
父の望み通りにして欲しいとお願いしました。
部屋に戻ると、父は寝ていました。
私に気づき、絞り出すような声で
「ありがとう、元気でね、○○(夫)君に宜しく」
姉には「お母さんをたのむ」
そしてビールを欲しがったので
5ccほど口に含ませました。
それから一時間ほどして、急変しました。
娘に会いたい、と言ってくれたから
立ち会えた。
看護師、スタッフたち、ケアマネさん、
多くの人たちに見守られながら
14時40分に、大好きな父が旅立ちました。
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「最期に娘に会いたがっている」と聞いて
慌てた私はすぐに車で施設に向かいました。
途中、赤信号で止まっていると
横のバイクのおっちゃんが、指で合図をしている。
なに?こんな時に! ナンパ?なんて思っていたら、
ロングスカートの裾がドアに挟まっていた・・・
ありがとう、おっちゃん。
スタッフにはワクチン2回接種済みの旨を伝え、
マスクを二重にして、手袋をお借りました。
部屋のドアを開けると、
父は土色の顔をしてベッドに横たわっていました。

母は目を赤くして、父の手を握っていました。
「ずっとそばにいてくれ」
「元気で生きてくれ」と言われたらしい。
母が“紫陽花ちゃん来たよ!” と叫ぶと目を開けて
父は“世話になったなぁ”と、ひとこと言いました。
それからはずっと寝ていたので
一時間で引き上げました。
この状態でもスタッフは、
まだそれほど深刻じゃない…みたいな様子でした。
プロの勘を信じましょう。
(10月14日木曜日のこと)

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慌てた私はすぐに車で施設に向かいました。
途中、赤信号で止まっていると
横のバイクのおっちゃんが、指で合図をしている。
なに?こんな時に! ナンパ?なんて思っていたら、
ロングスカートの裾がドアに挟まっていた・・・
ありがとう、おっちゃん。
スタッフにはワクチン2回接種済みの旨を伝え、
マスクを二重にして、手袋をお借りました。
部屋のドアを開けると、
父は土色の顔をしてベッドに横たわっていました。

母は目を赤くして、父の手を握っていました。
「ずっとそばにいてくれ」
「元気で生きてくれ」と言われたらしい。
母が“紫陽花ちゃん来たよ!” と叫ぶと目を開けて
父は“世話になったなぁ”と、ひとこと言いました。
それからはずっと寝ていたので
一時間で引き上げました。
この状態でもスタッフは、
まだそれほど深刻じゃない…みたいな様子でした。
プロの勘を信じましょう。
(10月14日木曜日のこと)
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父の訪問歯科医、N先生から連絡がありました。
退院してから初めての診察。
父の変貌ぶりに驚いて、
面会出来ない私に電話をくれたのです。
退院に付き添った時、私も驚きました。
頬はこけ、山岳部で鍛えた脚は棒切れのように
細くなっていました。
無口で何も言わないけれど
相当しんどそうなのが分かります。

「そう長くはないかも…覚悟している」と話すと
N先生も否定しませんでした。
父は優しいN先生の事が大好き。
だから「最期まで診てあげて欲しい」と
お願いしておきました。
施設は面会禁止が1年以上続いています。
このまま会えない状態が続くと
悔いが残りそうです。。

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退院してから初めての診察。
父の変貌ぶりに驚いて、
面会出来ない私に電話をくれたのです。
退院に付き添った時、私も驚きました。
頬はこけ、山岳部で鍛えた脚は棒切れのように
細くなっていました。
無口で何も言わないけれど
相当しんどそうなのが分かります。

「そう長くはないかも…覚悟している」と話すと
N先生も否定しませんでした。
父は優しいN先生の事が大好き。
だから「最期まで診てあげて欲しい」と
お願いしておきました。
施設は面会禁止が1年以上続いています。
このまま会えない状態が続くと
悔いが残りそうです。。
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よ~やく梅雨が明けてホッとしました。
近畿は62日間で、過去最長だったそうです。
しかし、これからは苦行のような暑さですね。(-.-)
去年までは老犬がいたため、
ちょっとでも暑さを感じたら冷房をつけていましたが
今年はついつい限界まで我慢してしまう。^^

父は体調が万全ではないものの、
本人も希望もあって退院することになりました。
看護師さん曰く
「本当は厳しい食事制限があるのですが、
ご高齢ですから 好きな物を食べて頂いても…」
とのことでした。
なんとなく、見放された感があるものの
そう言ってくれて、良かった。
“我慢” が出来ない父。
最期まで好きなように過ごしてもらいたいから。

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近畿は62日間で、過去最長だったそうです。
しかし、これからは苦行のような暑さですね。(-.-)
去年までは老犬がいたため、
ちょっとでも暑さを感じたら冷房をつけていましたが
今年はついつい限界まで我慢してしまう。^^

父は体調が万全ではないものの、
本人も希望もあって退院することになりました。
看護師さん曰く
「本当は厳しい食事制限があるのですが、
ご高齢ですから 好きな物を食べて頂いても…」
とのことでした。
なんとなく、見放された感があるものの
そう言ってくれて、良かった。
“我慢” が出来ない父。
最期まで好きなように過ごしてもらいたいから。
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ア○ペ気味で触覚過敏がある父は、
ほとんどの衣類が着られません。
入院前のことですが、
“スリッパ2足、パジャマ2セット買ってきて” の
要望を受け、持って行きました。
2セットのうち、感触のいい方を使おうという魂胆だろう。
私としては、吟味して肌触りのいいものを選んだつもり。
でも結果は、両方とも撃沈でした。
おまけに
“この前持ってきてもらった座布団は硬い”
とも言っていた。。
以前の私なら、怒りで脳みそが爆発していたはず。
なのに今回は、冷静でいられました。

私が成長したのだろうか?
それとも、「終着駅」が見え始めた父のことを
受け止められる境地に入ったのだろうか。
単なるワガママではなく、
生きづらい人生だったんじゃないかなぁ。

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ほとんどの衣類が着られません。
入院前のことですが、
“スリッパ2足、パジャマ2セット買ってきて” の
要望を受け、持って行きました。
2セットのうち、感触のいい方を使おうという魂胆だろう。
私としては、吟味して肌触りのいいものを選んだつもり。
でも結果は、両方とも撃沈でした。

おまけに
“この前持ってきてもらった座布団は硬い”
とも言っていた。。
以前の私なら、怒りで脳みそが爆発していたはず。
なのに今回は、冷静でいられました。

私が成長したのだろうか?
それとも、「終着駅」が見え始めた父のことを
受け止められる境地に入ったのだろうか。
単なるワガママではなく、
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